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8年前の3月11日

平成23年(2011年)3月11日のあの時、埼玉県深谷市の会社で就業規則の打ち合わせ中でした。

突然大きな、長時間の揺れがあり、打ち合わせをしていた2階から、屋外に避難。

会社の前の片側2車線の道路の上空にある電線が長縄跳びのように大きく揺れた。

 

会社の駐車場の社員の車は、大きく波を打つように揺れていて、背の高いワンボックス車は横転しそうなくらい激しく左右に。しかし、1台だけほとんど揺れなかった車があったので。揺れがおさまった後にその車を見に行くと、前輪に車止めがしてありました。その車の持ち主に聞いたところ、「いつも車止めをしている」とのこと。

 

打ち合わせを再開したのですが、気になってテレビをつけると、津波が川を逆流しているあの映像。川をさかのぼり、田んぼに氾濫したり、住宅を押し流したり、大量の車が漂流していたりと、例のあれ。

 

そして打ち合わせが終わったのが18時。車のラジオからは、全ての電車が止まっていて、各駅は人があふれ、何度となく繰り返された帰宅難民の報道。

 

家族と連絡を取ろうと携帯電話にかけるも、全くの不通(後で大変なことになっているのを知った)。

これは、もしかして? と、とっさの判断でガソリンスタンドに直行。(この後2週間程度はガソリンスタンドの大渋滞だったので、助かった)

 

とりあえず、家族を迎えにJR大宮駅まで車で向かうが、カーナビの到着予定時刻は22時、3時間以上かかる表示があり、何かの間違えだろうと運転していたところ、国道16号線を川越から大宮方面に向かう途中の荒川の橋を超えたところから車が進まない。

 

なんとか大宮駅近くで合流。帰りの道も大混雑で、2時間くらいかかって何とか帰宅。

 

この日は運よく車移動の日だったので帰宅できたが、電車で都内に行っている日だったらと考えると運がよかったのかな?都内で震災にあったら歩いて帰宅できないだろう。一体、どこまで歩けただろうか?

 

その経験を生かして、車には運動靴、毛布、ブルーシートを積み込んでます。